
【入社エントリ】挑戦する人の背中を押し続けた先で、トラックレコードに出会った
はじめまして! 採用コンサルタントとしてトラックレコードに入社した蓮尾です。
概ね入社エントリという名の、少し長めの自分語りです。 ただ、ご支援させていただいている企業様や、人材業界でのキャリアに悩む方へのメッセージにもなればと思い、書いてみます。
振り返ると、自分のキャリアはあまり「きれい」ではありません。 休学してダーツのプロをやっていた時期があり、実業団選手として全国を回りながら、学習塾の教室長をしていた時期もありました。 その後は人材業界に入り、人材紹介→採用コンサルタント→エンジニア領域の転職支援へと進んできました。
一見すると、バラバラです。 でも、自分の中ではずっと一本の線でつながっています。 それは、**「挑戦する人の背中を押したい」**という思いです。
もう少し正確に言うと、昔からずっと、 「感覚に頼るのではなく、相手に合った形で、構造的に支援したい」 という感覚が自分の中にありました。
トラックレコードと出会ったとき、自分がこれまで点で積み上げてきた経験が、初めてきれいに線になった感覚がありました。 この記事では、私の原点からなぜ今トラックレコードにいるのかまでを、書いてみたいと思います。
今の自分の原点は、「自分で考える」ことだった
幼少期は、将棋のプロ棋士になりたかった
幼少期、自分は将棋のプロになりたいと思っていました。 今振り返ると、小さい頃から「どうすれば強くなれるのか」「どうすれば再現できるのか」を考えることが好きだったのだと思います。
ただ好きで終わるのではなく、構造を理解して、自分なりに納得して前に進みたい。そんな感覚は、この頃からすでにあった気がします。
中学〜高校では、走高跳に没頭していた
中学から高校にかけては、陸上競技の走高跳に没頭していました。 ただ、自分は昔から器用なタイプではなく、言われた通りにやってもなかなかうまくできませんでした。 そんな中、中学3年生のときに赴任してきた先生から 「思う通りにやってみろ」 と言ってもらい、自分で調べて、真似して、アレンジしながら競技に向き合うようになりました。
当時ある書籍は全て読み漁り、国内外の動画をひたすら収集し、自分なりの形をつくって実践した結果、記録は大きく伸びました。 今振り返ると、**「自分に合うやり方を考え、試し、結果につなげる」**という感覚はこの頃にかなり形づくられたと思います。
スポーツ科学を学びたいと思った理由
早稲田大学のスポーツ科学部に進んだのも、その延長線上でした。
当時感じていたのは、監督やコーチの指導は、どうしても本人の成功体験や、これまで指導してきた選手の成功事例に寄りやすいということでした。もちろんそれに価値はありますが、それだけでは選手一人ひとりに合った指導にはなりにくいとも感じていました。
だからこそ、相手の特性に合わせて、再現性のある形で支援するにはどうすればいいのか。 自分は昔から、そんなことを考えていたのだと思います。
ダーツでも、自分自身を実験台にしてきた
大学を休んで、ソフトダーツのプロとして活動した
大学時代の2013〜2016年までは、大学を休んでソフトダーツのプロとして活動していました。 競技に本気で向き合う一方で、ここでも自分は「言われた通りにやってできるタイプ」ではありませんでした。
だから、自分で調べて、真似して、アレンジして、それでも足りないから4スタンス理論や学習理論を引っ張ってきて、自分自身を実験台にしていました。
寝ても覚めてもダーツができる場所に通い、自宅にもボードを置いて、ダーツに触れない日はありませんでした。 毎日メニューを組み、「自分の形をつくる日」と「その形をあえてプレッシャーで崩す日」を分けながら、限界まで自分を追い込んでいました。 力尽きて、ダーツバーや玄関先でそのまま眠ってしまうような日もありました。
今振り返るとかなり極端ですが、その頃から、ただ量をこなすのではなく、どうすれば再現できるのか、崩れたときにどう戻せるのかを考え続けていたのだと思います。
ダーツ塾で、「感覚に頼らない指導」を実践した
プレイヤーとして活動する一方で、4スタンス理論と動画解析を用いた、「感覚に頼らない」指導を軸にしたダーツ塾も運営していました。
「なぜうまくいったのか」「なぜうまくいかないのか」を言語化し、相手が前に進める形で伝える。 今思えば、この頃からすでに、自分が挑戦することと、誰かの挑戦を支えることの両方をやっていたのだと思います。
新卒入社した会社との出会いも、ダーツの延長線上にあった
卒業後は、ダーツの延長線上で縁が生まれ、ダーツの実業団選手として全国を転戦しながら、学習塾の教室長として働いていました。
教室の社員は自分ひとりで、約100名の生徒を抱え、教室運営、保護者対応、講習提案、数字づくりまで担っていました。 競技で結果を出す側でもあり、誰かの成長や意思決定を支える側でもある。 この両方を持っていたことが、その後のキャリアの土台になったように思います。
人材業界に入った理由は、「挑戦が負債になる」への違和感だった
就活で感じた、強い違和感
人材業界に入った理由は、自分自身の就職活動で感じた違和感にあります。
大学時代、自分はダーツに明け暮れていました。 全国転戦、ダーツ塾、研究、イベントなど、全部本気でやっていたつもりでした。寝る間も惜しんで、2徹して倒れることもありました。
でも、新卒就活の場では、 「結局、ダーツで遊んでいたんだよね?」 という見られ方をされることが少なくありませんでした。
もちろんそう見える部分があったのかもしれません。 それでも、自分の中には強い違和感が残りました。
「きれいな経歴」が、挑戦を諦める理由になってほしくなかった
本気で何かに挑戦した経験が、いわゆる「きれいな経歴」ではないという理由で、十分に評価されない。 むしろ、その経歴があることで不利になってしまう。 それはどこかおかしなことのように思えました。
新卒や転職の市場は、時に少しへんてこりんな世界です。 きれいな経歴が評価されるからこそ、やりたいことがあっても挑戦を諦める人が出てくる。 それはプロスポーツに限らず、役者や漫画家など、何かに本気で挑戦した人たちにも当てはまると思っています。
だから、人材業界に進んだ
リスクを取って挑戦したことは、その人の強さや厚みになると信じています。 それなのに、「きれいな経歴」から外れることで次の挑戦が難しくなる。 そんな世界であってほしくないと思いました。
だからこそ、 「挑戦してきた人が、ビジネスの世界で再挑戦できるステージをつくりたい」 その思いが、自分が人材業界に入った理由です。
スポーツフィールド、HeaR、Findyで、支援の幅と深さを広げてきた
スポーツフィールドで、人材支援の基礎を身につけた
そんな思いを持って入ったのが、スポーツフィールドでした。 最初は本当に不器用で、なかなか結果が出ませんでした。
ただ、自分は昔から最初からうまくできるタイプではありません。 だからこそ、自分で見て、学んで、試して、修正して、結果が出るまでやる。 その繰り返しで、2,3年目には全社表彰を受けマネジメントも経験しました。
一方で、人材紹介会社としてできる支援には限界があるとも感じるようになりました。 ・もっと企業の採用課題解決に深く介入したい ・もっと支援の幅を広げたい そう思うようになったのも、この頃です。
HeaRで、採用支援の幅を広げた
そうして次に進んだのが、HeaRでした。 採用CX(Candidate Experience)に強みを持つ会社の採用コンサルタントとして、採用戦略策定〜母集団形成まで全般的に担い、同時に人材紹介事業の立ち上げにも関わりました。
人材紹介にとどまらず、採用の仕組みや体験づくりに踏み込めるようになり、支援の幅は一気に広がりました。 やれることが増えた一方で、求められることも増え、かなり密度の高い時間だったと思います。
ただ、その中で改めて痛感したことがありました。 それは、**「支援の幅を広げるだけでは足りない」**ということです。
Findyで、エンジニア採用の専門性を深めた
HeaRでは、エンジニア採用を行う会社の支援にも携わっていましたが、自分はエンジニアとまともに話したこともなく、わからないことだらけでした。 表面的にわかった気になって支援してはいけない。 もっと深く理解しなければいけない。そう強く思うようになりました。
その課題意識から選んだのが、Findyでした。
自分の中では、「1年間学び、1年間恩返しする」という2年計画を勝手に立てていました。 実際に、月間40〜50名のエンジニアの方々と話せる環境に身を置くことができ、エンジニアのキャリア観や意思決定の背景が、少しずつ立体的に見えるようになっていきました。
それまでは頭で理解したつもりになっていた部分も多かったと思います。 でも実際に向き合う中で、エンジニアの転職は、年収や技術スタックだけで決まるものではなく、組織、裁量、成長環境、ミッション、開発文化など、いくつもの要素が重なっていることを実感しました。
3社の経験が、少しずつ線になっていった
スポーツフィールドで培った人材支援の基礎。 HeaRで広げた採用支援の幅。 Findyで深めたエンジニア採用の専門性。
それぞれは別々の経験のように見えながら、自分の中では少しずつつながっていきました。 そしてこの頃には、次に進むなら、**「これまでの経験を分断せず、統合できる場所に行きたい」**とはっきり考えるようになっていました。
エンジニア採用に惹かれたのは、もともとの興味ともつながっていた
エンジニア採用への関心は、幼少期からの地続き
自分がエンジニア採用領域に惹かれた理由は、キャリアの途中で急に生まれたものではありませんでした。
幼少期から父にPCを与えられ、分解して組み立てることを繰り返していました。 また、今ほどHP制作が一般的ではなかった頃から個人サイトをつくり、将棋の情報発信もしていました。 タイピングの速度を競うコンテストに出たり、学生時代は簡単なHPの受託開発をやっていたりと、IT領域は幼少期から身近なものでした。
「構造を理解すること」と「伝えること」が好きだった
振り返ると、自分は昔から、物事を構造的に理解すること、情報を整理して人に伝わる形にすること、発信を通じて誰かの役に立つことに惹かれていました。
だから、テクノロジーや発信への関心と、人材支援の仕事が重なる領域として、エンジニア採用は自分にとってかなり自然なテーマでした。
トラックレコードで、これまでの経験がつながった
きっかけは、強烈なスカウトタイトル
トラックレコードとの出会いは、1通のスカウトでした。
タイトルの冒頭は **【絶対にお会いしたくご一読いただきたいです】 **思っていても、なかなかここまで書けない。 でも不思議とそれが嫌ではなく、むしろ強く印象に残りました。
採用コンサル・RPOの会社はかなり調べていたつもりでしたが、当時の自分はトラックレコードのことを認知しておらず、 だからこそ、内容を見たときの驚きは大きかったです。
これまでの経験が、全部融合する会社
話を聞いてみると、そこには自分がやってきたこと、やりたかったことがかなり自然につながる要素が揃っていました。
・採用コンサルティングを行っていること ・エンジニア採用領域に特化していること ・人材紹介事業も立ち上げたいと考えていること
スポーツフィールドから現在に至るまでの経験が、全部融合するような会社でした。 さらに、規模感も自分が良いと思っていた20〜30名くらい。 ちょうど「キャリアの統合」を転職軸にしていたタイミングでもあり、ここまで合致する会社があるのかと純粋に驚きました。
最後の一押しは、必要なかった
最後の一押しが必要だったというより、 **「出会った瞬間から、もう決まっていたような感覚」**に近かったです。
入社して感じているのは、ハードさと、それを上回る喜び
正直、業務はかなりハード
入社してまず感じているのは、正直かなりハードだということです。 週末は倒れ込むように寝ています。
でも、体が回復すると、またすぐ仕事をしたくなる。 それは、2022年からやりたいと考えていたことが、3年越しにようやく統合されて、やりたかったことが本当にできている感覚があるからだと思います。
経験が活きる。でも、ほぼ未経験でもある
もちろん、これまでの経験が活きている部分はあります。 ただ同時に、活きているようでいて、感覚としてはほぼ未経験みたいな部分もあります。 でも、その感覚が今はすごく面白いです。
圧倒的なプレイヤーの中で、自分を鍛え直している
河上さん、西村さんという圧倒的なプレイヤーがいるので、自分はただ這いつくばって、食らいついていくだけです。 30代も半ばになって、こういう環境に身を置けること、そして自分より圧倒的に強い人たちに引き上げてもらえることを、本当にありがたく感じています。
これから、トラックレコードでやっていきたいこと
変わらず持ち続けてきた思い
ここまでのキャリアを振り返ると、自分はずっと **「挑戦する人の背中を押したい」**と思ってきたのだと思います。
それは、ただ前向きな言葉としてそう思っているわけではありません。 自分自身が、挑戦してきたことを必ずしも「きれいな経歴」として受け取ってもらえなかった経験があるからこそ、強く思うことでもあります。
支援の根底にあるもの
そしてその根底には、ずっと変わらず、 「感覚に頼るのではなく、相手を理解し、構造的に支援したい」 という思いがあります。
将棋が好きだった幼少期も、走高跳に没頭していた頃も、ダーツの指導も、個人サイトやブログでの発信も、形は違っていても自分の中ではつながっています。 物事を理解し、整理し、相手に届く形にして、前に進むきっかけをつくる。 自分がやりたいのは、ずっとそういうことなのだと思います。
トラックレコードで実現したいこと
トラックレコードで実現したいのは、社名の通り、 「**個人にとっても、企業にとっても、誇れる軌跡をつくること」**です。
挑戦には、いつも不確実さがあります。 でも、その一歩が正しく重なったとき、個人にも企業にもその先につながる確かな記録が残る。 自分は、そんな挑戦の軌跡を増やしていきたいと思っています。
良い挑戦のフィールドをつくること。 その中で、企業の挑戦、個人の挑戦、そして自分自身の挑戦が重なりながら、トラックレコードの“トラックレコード”をつくり続けていくこと。 それが、ここでやりたいことです。
過去を繰り返すのではなく、未来を待つだけでもなく、 今この瞬間を響かせるように働くこと。 その積み重ねの先に、トラックレコードらしい実績を残していきたいと思っています。